机に向かって色々やってる最中、うっかりPS2のメモリーカードを落としてしまった。


1メートルくらいの高さだったから、物理的に壊れたり等もせず、勿論データも無事。
コレ自体は別になんていう事もない出来事だったのだけど、これを見てふと考えた。
最近のゲーム機器はデータ保持がえらく堅牢になったものだなあ、と。
もし仮に落ちたのがファミコンドラクエ3のロムカートリッジだったとしたら、当時の自分は慌てふためき、絶望し、神に祈りをささげた後に、諦念とともにデータの確認をしていたことだろう。
それに比べてこの安心感はどうだ。データが消えているなんて微塵も思っていない。
現在のメモリーカードのデータ消失の可能性なんて、セーブ中に停電とかくらいなものだろう。ソフトを入れ替えるというだけでデータ消失に怯えていた昔に比べれば格段の進歩だ(※)。もちろんデータなんて消えないほうが良いに決まってる。最初からやり直しなんて面倒すぎる。
しかし、あんなにも簡単にデータが消える不安定なソフトだったからこそ、それを乗り越えてクリアできた時の喜びもひときわ大きかったのだろう。
ソフト取り扱い時に払う細心の注意、プレイ時の本体の環境への気遣い、データ復活に効くとされていた数々の迷信、後日咲かせる話の種。
こういった馬鹿馬鹿しくも楽しい事柄を、PS以降ゲームの世界に入った人たちは体験できていないのかと考えると、いっそ哀れにも思える。
快適なことは確かに素晴らしいことだ。
でも、快適なだけでは得られない楽しさも、確かに存在したのだと思う。


というわけでアレですね、結局何が言いたいかというと、
メモリーカードに年齢制限をかけて、15歳以下くらいにはやたらデータの飛びやすいカードを売る」とかやればいいんじゃない、ということ。
これだけ強固なメモリーカードを作れるんだから、データの消えやすいメモリーカードなんてお茶の子さいさいだろう。知らんけど。
このメモリカードで遊んだ子供たちならば、我慢強く、注意深く、物を大切にする大人に育つのではないだろうか。知らんけど。
ああでも、仮にそんなことになっても自分には普通のメモリーカード売ってくださいね。
データ消えるのとかもうこりごりだから。


※ 「抜き差し」に関して言えば、最近のハードではセガサターンが非常に良い働きをしている(最近?)。メモリーカードを抜いたが最後、再度挿入しても認識さえしてくれないという素敵過ぎる謎仕様には、いろんな意味で落涙を禁じえない。消えるメモリーカードは無理にしても、せめてサターンでデビルサマナーでもクリアでもしてみたら良いんじゃないかと思うよ。確実に良い思い出になる。



今日はいろいろやろうと思ってたけど、なんか全然出来なかった。
とりあえず、終わった洗濯物を10時間放置してしまったのが本当にどうかと思う。
しわしわだー。というかほんの少し前に同じ事やったぞ、自分。